普済寺跡

2016年6月26日

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たまたま三重県を訪れる機会があり、鈴鹿市にある鈴法山普済寺跡を訪ねました。
まずは虚無僧の墓がある場所、鈴鹿市岸岡町にある(株)フジクラの南西角あたりです。
元あった場所から企業の用地買収の際ここへ移されたとのこと。

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三基あり中央が普済寺虚無僧合葬の墓。
手前の二基は不明です。

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正面に「合葬之墓」裏面には「弘化四年丁未七月 看主慙改建之」とあります。
安政5年(1858)9月21日没の慙改止善居士が弘化4年(1847)に建てたもののようです。

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合葬の墓右側面には「明治八乙亥歳十二月廿四日 普済晋堂信士」
と普済寺最後の看主の墓碑が彫り加えられています。
明治6年の普済寺廃寺後、他県へ移られた普済家のご子孫が
今でもお盆の時期にお墓参りにいらっしゃっているとのことです。

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墓より数百m南のこのあたりに普済寺があったようです。

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普済寺廃寺後に跡地を買い取り、戦時中は旅館を営んでいたという
ご一族の現当主K氏にお話を伺うことができました。
先代からの言い伝えとして上記写真の石垣、石材等が
普済寺の遺物ではないかとのことです。

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もう一つ、平成26年に発行された「玉垣郷土史」の中に
鈴鹿市白子龍源寺に普済寺虚無僧の墓があるとの記述を発見(!)
普化宗史(高橋空山著)にも名前が載っている「淵宝暫計首座」の墓です。

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確認に行きましたが近年の墓地整理により行方不明に・・・。
たぶんこの寄せ墓の中にあると思うのですが確認できませんでした。

普済寺伝とされる「手向」は好きな曲なので
今回の訪問はとても感慨深いものとなりました。

(甲州乙黒明暗寺伝とされている「鑁字(ばんじ)」を
後年自身の作曲だと白状したり、
高橋空山一人から出ている説は信憑性に欠ける場合があります。
「手向」を普済寺伝だと広めたのは高橋空山のような・・・。
そう言われてみると高橋空山のメロディーセンスが匂うような・・・。
高橋空山作曲だとしても名曲だと個人的には思いますが
普済寺伝と思って吹いた方が虚無僧のロマンに浸れるので
そこら辺はあまり突っ込まないことにします(笑))

追記
鈴鹿市在住の方より教えてもらった話。
普済寺のあった岸岡町は紀州藩の鷹狩場で
普済寺はその密猟を取り締まる役目を与えられていたとか。
箱根以西には数の少ない虚無僧寺ですが
何で鈴鹿にポツンとあったのか謎でしたが、
そういう理由があったのだとしたら納得。
虚無僧と徳川家の繋がりを暗示する内容としても興味深い説です。